第3話
=The Sidewinder=
今でこそ、ジャズが店内に流れるラーメン屋もめずらしくなくなりましたが、
私がジャズを聴き始めた60年代後半はまだまだジャズは一般的ではなく、
ましてやプレイをする人は一部の大学生とごく少数の“変わり者”ぐらいでした。
それでも、こちらからアプローチすればジャズに関する情報は在る所にはあり、
そういう意味ではかえって現在よりも焦点を絞りやすく、
濃厚にジャズに触れることができたかもしれません。
一方で、テレビ、ラジオなどのマスメディアでは、ストレートなジャズではなくとも、
ジャズにつながるポップスやオーケストラ・サウンドに溢れていたので
ジャズになじむ“下地”としては良い環境だったのかと思います。
ジャズへの入り口は、直接アプローチする人、ポップスを経て、いやヴォーカルから、
イージー・リスニングから、モダン・アートとしての興味からなど人それぞれだと思いますが、
まずは私の青春時代の“流行モノ”をご紹介します。
■パチンコ屋のジャズ
当時のパチンコ屋では店内に流れる
BGMは大半が歌謡曲か演歌で、
ときどき洋楽のポップスが流れる程度、
ジャズが聴こえてくることはまずありませんでした。
そんな中で歌謡曲に混ざって店内に流れ、おっ!と思ったのが次の曲です。
≪Take Five≫
デイブ・ブルーベック・カルテット、1959「Time Out」
日本ではリーダーのブルーベックよりこのグループのアルト・サックス奏者、
ポール・デズモンドの方が有名で、
彼の作であるこの曲は一世を風靡しました。
十数年前にCMソングに使用されたので最近の若い人にもよく知られている
変拍子、五拍子の曲。
≪Work Song≫
≪Mercy, Mercy, Mercy≫
キャノンボール・アダレイ・クインテット、1966
Work Songは元々キャノンボールの弟、
コルネット奏者の
ナット・アダレイの
60年の曲ですが、
マイルス・デイヴィス
のバンドを退団した後、
兄弟でクインテットを結成、そのバンドのレパートリーとしても。
ジョー・ザビヌル
をキーボードに迎え、彼の作曲で
ゴスペル調の
Mercy、…が大ヒット。
≪The” In “Crowd≫
ラムゼイ・ルイス
・トリオ、1965
タイトル通り、クラブでガヤガヤと仲間同士が雑談する音をバックに録音されたライブ盤で、
まさに
ソウル・ジャズ?
この年のシングル売上全米2位となり、グラミー賞も受賞。
そういえば当時はジャズのレコードにもシングル盤(ドーナツ盤)がありました。(370円だっけ?)
この曲、日本ではなにかの有名ラジオ番組のテーマ曲にもなっていたと思うのですが、
番組名がちょっと思い出せません。
≪The Sidewinder≫
リー・モーガン、1963
この曲も今でもニュース映像のバックにときどき流れたりする
ヒット曲で、8ビート、24小節の変則的ジャズ・ロック・ブルース。
ポップ・ジャズの名を冠せられ、評論家からの評判はあまりよくなかったようです。
表題曲はともかく、二曲目のトーテム・ポールは典型的なハードバップ・スタイルの
ラテン風名曲で、リー・モーガンのアドリブは圧巻、私にとっての彼のベストプレイです。
また、他の曲もハードバップ・ナンバーで、ホーカス・ポーカスなども良い曲、
演奏です。テナー・サックスはまだデビューしたばかりのジョー・ヘンダーソン、
ピアノはバリー・ハリス。
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50年代中頃になり、ビバップから
ハードバップ時代に移行すると、
アドリブのスタイルや楽曲のコード進行がより多様に進化し、
その後のよりモダンなスタイルへの重要なステップとなる一方、ポップスの世界で
白人社会にも人気が定着した
R&Bなども横目に、「黒人音楽」のスタイルを色濃く
反映するようになります。
特に当時、この「黒人色」を強調したものの代表はなんといっても
アート・ブレイキーと
ジャズ・メッセンジャーズで、その系譜のジャズには
ファンキー・ジャズなる名称が与えられ、一大人気を博します。
60年代になると、さらに
R&B、
ゴスペル風の演奏は
ソウル・ジャズ、
ポップ・ジャズなどと称され、ハードコアなジャズファンは眉をひそめたようですが、
ジャズを広い層に浸透させ、世界にマーケットを広げ、商業的にも大成功を収めます。
これらのレコードはちょうどその末期のもので、よりポップなものとモダンなものが
最も幅広く混在していた時代です。
ポップなものは
R&B、
ソウル・ミュージック、さらには少し前に誕生したロック・ミュージック
から次世代の
フュージョン・ミュージックへと若者達の人気は移り変わり、
モダンなものはその難解さのゆえに大衆的な支持を失っていくことになるのですが、
50年代後半から60年代中盤までは、ジャズというジャンルが最もその裾野を広げ、
幅広いマーケットを誇っていた時期といえるのでしょう。
≪Moanin’≫
アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ、1958
ファンキー・ジャズ、リー・モーガンといえば、
アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズを抜きにはできないということで、
まずはその代表作「Moanin’」、このグループのピアニスト、ボビー・ティモンズ作曲。
この直前のブルー・ノート・レコードでのスタジオ録音盤が最初の録音ですが、
こちらの「Au Club Saint-Germain」の方がライブ盤で迫力があります。
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ハードバップ以降のアドリブ・フレーズの多様化、黒人音楽化はまさにトランペット向きで、
ファッツ・ナヴァロ、
クリフォード・ブラウンの逸材を生みますが、二人とも若くして急逝し、
直後に新星の如く現れた若き天才リー・モーガンは、
やはりこのグループのテナー・サックス奏者
ベニー・ゴルソン作のブラウンへの追悼曲
「I Remember Clliford」を演奏することにより、その後継者として名乗りを上げ、
トランペッター黄金期であったこの時期に暫しの間、我が世の春を謳歌することになります。
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