キャノンボール・アダレイ(Jullian “Cannonball” Adderley)

1928~1975 フロリダ出身でジャズの中心地ニューヨークから離れていたため、そのキャリアの始まりは遅くなった。
55年、チャーリー・パーカーが死んだその年に28歳の彼はニューヨークに現れ、カフェ・ボヘミアでオスカー・ペティフォードのグループに飛び入り出演し、デビュー、ガレスピーに「ニュー・バード」と呼ばれた。その時のセッションとほぼ同じメンバーで録音したのが56年の「Bohemia After Dark」。
翌年にはマイルス・デイヴィスのグループに抜擢され、一流ジャズマンの仲間入りをする。レコード会社との関係でキャノンボールをリーダーとしたアルバム「Somethin’ Else」でAutumn Leavesが大ヒット、ジャズのスタンダードとなる。
キャノンボールの演奏はいわゆる感性派であり、アドリブの方法論的分析の対象としては適さないかもしれない。一説によればマイルスに「お前はもっとコードを勉強するべきだ」といわれ、自信を喪失したという。 そのせいかどうか、マイルスのグループ退団後に弟のナット・アダレイと再結成したクインテットはMercy, Mercy, Mercyなどファンキー色の強いものになるが、これがまた大ヒットした。


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