第7回:偏見じゃなく「マーケティング」 ぼくはアメリカに住んでいた頃、「ICHIBAN」というレーベルから一枚アルバムを出した。ここに至るまでにはそれなりの苦労があって、自分一人の力でアメリカでリーダー作をリリースできたのはとてもラッキーだったと思う。とはいえこれは、インディーズレーベルだからこそ実現したことだ。 2作目の「The Baltimore Syndicate」をリリースする際に日本へ戻ってきた最大の理由は、これをアメリカでリリースするのが難しかったせいだった。実はそれには、明確な理由があった。このアルバムは当時(1990年頃)、ジャズシーンで隆盛を誇っていた「新主流派」的なサウンドを含んでいたからだ。ぼくは単純に最先端のバリバリのジャズをやりたかっただけだが、アメリカ・ジャズ業界のマーケティングでは「新主流派」は”黒人”でなければダメだったんだ。つまり”黒人性”をウリにした音楽だったんだ。 ぼくは日本人で、最初から黒人性をウリにした「新主流派」ジャズなんか求められていなかったわけ。
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