演奏が進むにつれて人が続々増え、1曲終える毎にまさに熱狂的な反応。熱烈なアンコールに応え、80分のはずが100分位のステージに。持参したCDはあっという間に完売。気温30度・湿度80%で、ミュージシャンは服を来たままシャワーを浴びたような状態(笑)。だけど、握手を求めるお客様を見たら彼らも全員汗だくだった。(写真はすべて、この台中ジャズフェスティバルより。)
今年は韓国へも行ったんだけど、これから次第に東アジアが一つになっていくという印象を持って、ものすごく楽しみだなと思った。ほぼこの時のメンバーで、12/10に川崎クラブチッタに出演します。他にもクリスマス・ライブをたくさん予定しているので(文末参照)是非遊びにきてね!
さて、本編です。前回は、日本で洋楽離れが起こっていると言うところまで書いたよね。
グローバル化の波が押し寄せ、インターネットで区別無く世界中の音楽が聞けるようになった途端、日本では激しい洋楽離れの傾向が起こった。洋楽ソフトがまったく売れなくなっているんだ。これって、実に不思議な現象だ。つい最近までアメリカ一辺倒、洋楽至上主義だった日本の豹変である。
アジア諸国の中で、MTVの進出が最も困難だったのも日本だという。現在、再進出後のMTVでは邦楽ばかり流れている。 音楽以外の世界でも近年、日本人の鎖国化傾向が表面化しているような気がする。「日本には日本のやり方があるんだから放っておいてくれ」という感じ。グローバル時代に無理矢理追い込まれた結果の、一時的な拒絶反応だろうか?
近年日本のポピュラーシーンでは、洋楽と変わらぬレベルのトラックを作り、洋楽風な歌を歌うシンガーが増えてきた。それも洋楽離れの一因かもしれない。ところが元々紛れもない洋楽であるジャズでさえ、強力な海外アーティストたちの作品を尻目に、売れるのはなぜかドメスティック・アーティストの作品ばかり。
配信事業の整備といったメディアの混乱、突然のグローバル化に対する心理的な問題、アメリカの国力低下も影響するスターの不在など色々な原因があるのだろうけど、ミュージシャンの端くれとしてぼくが心配するのはやはり、日本のアーティストのレベル低下だ。少なくともアーティストを目指す人たちは、世界の高いレベルを常に意識し目指していなければ、日本の音楽全体のレベルがどこまでも下がり続けるんじゃないかと危惧を感じてしまう。
しかし別の視点から見ると、これは実に面白い現象でもある。「グローバリゼーション」というのは、同時に「ローカリゼーション」なんじゃないだろうか?チョイスが増えすぎてしまうと、人は身近な物を手にするのかもしれない。
雑誌、ラジオ、テレビといったメディアが全部一つの方向を向いていたときは、音楽の聞き手もそれを追いかけていれば良かった。ところが情報ソースが多様化してくると、何を選ぶかは自分で判断しなきゃならない。その結果自分の身近な情報を元に、身近な物を選択するようになるんじゃないだろうか。何かのTVコマーシャルでもあったけど、人はチョイスが多すぎると何も選べなくなっちゃうんだよね。同じような傾向が世界的に起こっているから、逆説的に言えば、いま世界中が「ローカリゼーション」の嵐に巻き込まれているのかもしれない。 | |
例えばアメリカのヒットチャートには、昔以上に民族性が明確に表れるようになってきた。ヒップホップは主に80年代以降のジャマイカ、ハイチ移民から起こった音楽だが、膨大な新移民達がこれを支持してトップ40まで賑わすようになった。他方では白人が支持するカントリー・ミュージックやアメリカン・ロックもヒットチャートに上り、かつてのダイアナ・ロス〜ホイットニー・ヒューストンにいたる「白人も黒人も聞くポップス」というのが下火になりつつある。そのため黒人音楽はより黒く、白人音楽はより白くという傾向が顕著になってきた。本国でリスナーが完全に2局化しているローカル・ミュージックだから、スターにまつわる情報もそれなりにローカルでグローバル性に欠く。その分海外から見れば魅力が乏しくなってしまうのは当然だろう。
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もしかしたら、この点が日本人の「洋楽離れ」の根本的な原因ではないかとも思うし、またアメリカがなかなかスーパースターを生み出せなくなってきた理由かもしれない。ひいてはそれこそが、音楽ビジネスの斜陽と無関係じゃないかもしれない。だとすれば、たとえアメリカ一辺倒傾向が薄れても、依然として日本はアメリカ文化の多大な影響を受けているわけだね。
一般的には、音楽業界の不振はインターネットと配信ビジネス、それに不法コピーのせいだと言われている。確かにそれは無視できないけれど、音楽のローカリゼーション化も一因かもしれない。
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チョイスが多くなりすぎたせいで、世界中の人がごく身近な音楽を選ぶようになり、世界的スターが生まれにくくなったとは言えないだろうか?
ローカリゼーションと市場の縮小は、音楽そのものにも深刻な影響を与える。録音にせよライブにせよ、一つの音楽を生み出した場合の報酬が縮小してしまうからだ。それが過剰になれば、食べて行けそうにないからとミュージシャンを志す若者が激減し、そのジャンル全体のレベルが低下することにも繋がる。他方ではジャネット・ジャクソンのような大スターが、凝った演出のワールドツアーをやることも困難になる。
こんな中、ジャズの世界は益々困難になっている。ジャズは、1920〜40年代頃にはポピュラー音楽だった。その後1950〜60年代頃には一種のクラシック音楽と化し、1970年代にフュージョンが生まれて以降「ジャズは死んだ」なんて言われ始めた。ホントに死んだのかどうか知らないが(笑)、確かに国際的スターは生まれにくくなってきた。
スター不在ということは、確かにその世界が斜陽を迎えていることを意味するかもしれない。だけど一つの時代が斜陽を迎えたということは、すなわち新しい時代の幕開けが近いことを意味する。要するに現在ぼくらは、まさに過度期の混乱の最中にいるんだ。(つづく)
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