日本にはヤマハ、カワイといったピアノ・メーカーの老舗があり、彼らが音楽振興に努めた影響は大きい。学校でも昔から鍵盤教育に熱心で、全体的な層が厚い。その厚い層の中から淘汰されていくので、鍵盤楽器奏者のレベルは放っておいても高くなる。これに比べて他の楽器では、世界的に通用するアーティストを数え上げたら片手で終わってしまうくらい層が薄いものもある。
これと同じような現象が他国でもある。例えばヨーロッパの場合、数世紀に及ぶオーケストラの伝統を持つだけに、管弦楽器奏者の層がとてつもなく厚い。その結果ポピュラー音楽でも管楽器、弦楽器はレベルの高いアーティストが多くて、当然極端に競争が激しくなる。
ぼくは欧州各国のベーシストと共演しているが、それはもう呆れるほどにレベルが高い。たまたま運が良かったというのもあるかもしれないが、出会うベーシストがことごとく名演奏家だったと言っても過言ではないくらいだ。ジプシー音楽の伝統があって、ギタリストもバイオリニストも凄い。管楽器も同じで、近年は素晴らしいジャズ・トランペッターが続々登場している。
ヨーロッパはハーモニカのレベルも極めて高い。もともとヨーロッパで生まれた楽器だから当然だけど、かのトゥーツ・シールマンスもベルギー人。パリでまだ学生のクロマチック・プレイヤーとセッションしたことがあるが、日本のジャズシーンでは望めないような巧さだった。(日本には和谷泰扶さんという世界に誇るクロマチック・プレイヤーがいるが、彼はクラシック・アーティストだ。)
実はヨーロッパでは、80年代くらいまではポピュラー・ミュージシャンでもなんとなく「クラシック臭い」人がほとんどだった。(日本でもこの傾向は多少あったけれど。)それがここ20年ですっかり様変わりし、ジャズ系・グルーヴ系を問わずイカしたミュージシャンが続々増えてきた。そんな中、ヨーロッパ・ジャズシーンの弱点はドラマーだった。白人ドラマー特有の「タテノリ」は一部の音楽では良いけれど、強力なスウィングを必要とするジャズや、深いグルーヴを必要とするソウル系の音楽ではイマイチという状態が続いていた。
だけどこれも、移民の多い地域では次第に変わりつつある。今ではグルーヴ系の優れた移民アーティストがヨーロッパ各地で活躍している。特にイギリスには、60年代くらいからジャマイカ移民などが入り、スカやレゲエとハイブリッドしたロック・ミュージックが盛んになった。当時から移民アーティストが活躍したが、90年代になるとここにジャズ、ソウルの要素がハイブリッド。SOUL II SOUL、INCOGNITOなどが登場し「アシッドジャズ」と呼ばれて世界中でヒットを飛ばした。
最近ではスペインが凄い。アラブ・アフリカ世界とヨーロッパ文化の接点でもあるスペインには、アフリカ大陸のトレンドが絶えず流れ込んでくる。そもそもアフリカ大陸の音楽が最近本当に凄い。アフリカ諸国はどんどん西洋化していて、それで良くない影響もあるのかもしれないけど、音楽への影響は素晴らしい。感覚的で原始的だった民族音楽が、近年急速に知的に洗練されてきたんだ。
これこそまさに、文化のハイブリッド効果だ。昨年モロッコの「TANJAZZ」フェスティバルに出演したとき、同じステージに出たマヌ・ディバンゴのバンドを聴いたが、そのディープなエスニシティと高度に洗練されたリズムやハーモニーに思わず唸った。カッコ良すぎる!
マヌのジャズは特別スゴイにしても、そんなアフリカ音楽が移民を窓口にスペインやフランスへ入ってくる。話をスペインに戻すと、メディアの発達した近年はスペイン語で歌われている音楽なら何でも聴かれている。中南米や北米スペイン語コミュニティの音楽が、自国の音楽と同じレベルでガンガン流れているんだ。ぼくは最近つくづく、音楽文化と言語の関係は重要だと思うようになった。だって日本では近年、もの凄い勢いで逆の現象が起こっているから。すなわち、洋楽離れだ。
この連載ではジャズの歴史をたどっていくつもりだけど、今後何回か、現代ジャズの世界的傾向についておつきあい願いたいと思う。その理由は、ジャズを「ハイブリッド音楽」として捉えることの重要性を感じてもらうためだ。ジャズをはじめ、多くの優れたポピュラー音楽はそもそもハイブリッド(=混成、交配)から誕生した。これこそが音楽文化発展と躍動の根源的エネルギーであり、全てのミュージシャンが自覚すべきポイントなんだ。
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