第18回:ブロードウェイ・ミュージカルとジャズ 1910年代にはラグタイムやディキシーランド・ジャズが知られており、1920年代には黒人レビューがヨーロッパへ渡った。そして名作曲家と呼ばれるモーリス・ラベルやストラビンスキーにより、他のエスニック音楽と並んで研究対象となったことは有名だ。彼らは当時ジャズの要素を取り入れた楽曲を書いている。 ちょうどこれと同じ時代に、アメリカではブロードウェイ・ミュージカルが産声を上げた。これについては元々ベルリンで近代化したオペレッタが、ニューオーリンズからアメリカに入ったものという説がある。 いずれにしてもミンストレル・ショーやボードヴィルなど、アメリカ独特のレビューとして発展したものから、特に音楽とダンスに重点を置いたスタイルが登場した。当初はブロードウェイでも、ボードヴィルの音楽+ダンスショーの部分を抜き出したようなものがスタートし、物語も単純なラブストーリーが主流だった。
ここを牛耳っていたのもユダヤ人で、ボードヴィルやミュージカルの多くの出版権を彼らが握っていた。アーティストにもユダヤ人は大変多く、ざっと思いつくだけでもベニー・グッドマン、ジョージ・ガーシュウィン、オスカー・ハマースタイン、リチャード・ロジャース、ジェローム・カーン、レナード・バーンスタイン・・・、ジャズメンがお世話になっていそうなスタンダードの作曲家はほとんどユダヤ系だね(^_^;)。 ニューヨークに行くと美味しい和食レストランがあるけれど、現地の人で和食を食べているのはほとんどユダヤ人だとまことしやかに言われている。つまりユダヤ人は、異文化に対して寛容なんだ。多分好奇心も強くて、魅力的なものが大好きなんだろう。 実はニューヨークでジャズが盛んになり、多くの黒人ジャズメンが受け入れられたのはそのせいだという側面もある。本当に彼らはジャズを愛したし、上記の作曲家はみんなジャズの要素が色濃い作品を残した。 そして永遠のジャズ・スタンダードとして現在までプレイされ続けている。
そんなわけで、ジャズ・シティーであるニューヨークのジャズは、黒人のジャズでもありまたユダヤ人のジャズでもあると言える。 黒人のジャズが生活から、ストリートから生まれた独自のスウィング感やグルーヴ感、つまり黒人ならではの民族性を持っているのに対し、ユダヤ系ジャズメンの多くは音楽院でジャズを学んだ「アカデミック・ジャズ」に属する。彼らの多くは黒人音楽のごく一部を取り入れ、クラシカルにそれを解釈・表現していると言うこともできる。その結果としてユダヤ人のジャズは、一部のクール・ジャズ系やバークリー系アーティスト達のように「全然スウィングしない」ものも多い。これはこれで、ハイブリッドした一つのジャズの形だと言える。 さて、3月後半は初のエジプト旅行と、4回目のヨーロッパツアーに行ってきます。カイロ・ジャズフェスティバルにはTOKYO FREEDOM SOULの3人で出演。その後はぼく一人になって、ハンガリーのトップ・ピアニストPeter Sarikとのデュオや、ブリュッセル、ウェールズ、ロンドン、ケルンでそれぞれ地元アーティストと共演予定。このツアー前後に、東京でまさにTOKYO FREEDOM SOULのライブをやるので、是非見に来てね! |