第15回:アメリカン・ショービズの原型 19世紀までのアメリカ人にとって、庶民の娯楽と言えば「サーカス」と「マジック・ショー」と「レビュー」。あと他には、「移動遊園地」や「見せ物小屋」などもあった。 当時の遊園地がディズニーランドじゃなかったのと同様、サーカスやマジックと言っても、今ぼくらが想像するようなスペクタクルなモノじゃない。サーカスはテントを馬車や鉄道で運んで移動する小〜中規模のもので、道化や動物のショーと曲芸を披露するエンタテインメントだ。それでもサーカスが街へ来ると、そこが街の中心になる。そこでサーカスのテント周辺では、物売りや薬売りが客寄せの簡単なマジック・ショーをやったりしていた。 こうした出し物の一つに、「ミュージカルの原型」とも言われる「ミンストレル・ショー」というレビューがあった。かつてイタリアの無言劇で演じられていた道化芝居が、サーカスのピエロやクラウンになって近年まで続いているけど、それを黒人風刺に置きかえた感じのものがミンストレル・ショーだ。白人が顔を黒く塗って、白人の観客に向けておもしろ可笑しく黒人訛りや黒人特有の動作を演じていた。 つまり、彼らにとって黒人はピエロ=道化だったんだね。この黒人風刺が大ウケにウケて、他の演目を凌いで発展していった。 ショーは3部構成で、@ちょっとしたコントと楽しい歌、Aスタンドアップ・コメディの元になった漫談ショー、Bドタバタの音楽付き寸劇。ラストに新喜劇が来る「よしもと」のショーみたいだね。 寸劇は無言劇の道化芝居のように典型的なキャラが設定されていて、奴隷と色男、ママや老人、小娘役などがいて、全て黒塗りの黒人という設定だった。黒人差別の象徴としてよく引用される、黒人を隔離する政策を「ジム・クロウ法」というのだけど、ジム・クロウは実はミンストレル・ショーの道化キャラクターの名前だった。 このショーの重要な要素が音楽だった。黒塗りの白人たちが演じる黒人キャラはどれも極めて音楽的で、始終歌ったり踊ったりしていた。また「ジュビリー」と呼ばれた黒人霊歌をコピーして、劇中で歌っていた。
何より面白いのは、ミンストレル・ショーの音楽やダンスそのものが、既に白黒文化の「ハイブリッド」だったということ。だってこのショーは黒人を演じる白人が、黒人の言動や音楽、ダンスを観察して真似ていたわけだからね。当時の黒人たちは既に純粋なアフリカ音楽ではなく、白人音楽の影響を受けた独自の音楽をプレイしていたんだけど、それを真似た白人役者達はそれをさらに聴衆の好みに合わせ、状況に応じてアレンジして演じた。アフリカの楽器であるバンジョーを白人がブルーグラスやカントリー音楽で使うようになったのには、おそらくミンストレル・ショーが関係してるんじゃないかと思う。 ショーでプレイした音楽は、聴衆が自宅でも楽しめるよう譜面を販売していた。これは、白人による最初の「黒人音楽の現金化」であり搾取だとも言えるが、それとは裏腹に黒人音楽に対する敬服の現れでもあった。 南北戦争が勃発すると、ミンストレル・ショーが提供するステレオタイプな黒人像が時代にそぐわなくなり、このショーは次第に衰退していった。これに変わって他のレビューが主流になったけれど、そんな新しいショーの中にもミンストレルのスタイルは受け継がれていった。 話は変わって、先日リリースしたミニアルバム「人生(いのち)」では、マンガ家/コメンテータのさかもと未明さんが2曲歌っているけれど、それ以外に4曲のインストナンバーが収録されている。そのうちの1曲として、ぼくのオリジナル曲「August Symphony」を収録した。在日カナダ人サックス奏者アンディー・ウルフの秀逸なアルトサックスをフィーチャーし、ぼくとしては珍しいスムースジャズ風に仕上げた作品だ。これをmyspaceにアップしたので是非聴いて欲しい。このアルバムには他にも、スウィングジャズで坂本九(中村八大作)の「明日があるさ」もカバーしている。 ※クリヤ・マコトmyspace:http://www.myspace.com/makotokuriya |