第12回:ブルースのオリジナリティ アメリカの白人達が、「見たことも聴いたこともない!」と思ったブルース。アメリカ南部では、黒人は被差別階級として隔離され、あまり一般白人達の目の届かない場所で働いていた。白人達は、「元奴隷」の黒人達の生活なんか、全然興味が無かったんだ。だけど、19世紀末から考古学とか民俗学などの学問が発展すると、黒人達の閉鎖された生活に興味を持つインテリ白人が現れ、彼らの生活が発見されることになった。 そしてこの事が、アメリカ文化の大躍進に大きな役割を果たすことになる。アメリカ固有の文化としてブルース・ジャズなどの黒人音楽を発見した白人達は、それを取り入れたアメリカ特有のポピュラー音楽を生み出し、さらに1920年代以降大不況下の文化推進策と相まってブロードウェイの巨大産業が花開くことになる。 その前に、閉ざされたコミュニティで生まれたブルースも、やっぱり白人音楽の影響を受けていたという話をしたい。例えば12小節を一区切りとするブルースの構成は、イギリス・フォークロアの「バラード」と呼ばれた音楽の影響を受けていたらしい。「バラード」は数行を一単位として書かれた詩に、単純な節をつけて朗読したようなものだったという。日本でいえば長歌、短歌のような原初的な文学のスタイルだったんだろう。
さて、このブルースが元になって様々なスタイルが生まれた。ラグタイムとかブギウギとか、ストンプとかシャッフルとか、これらは元を正せば全部ブルースから派生している。それに、同じ「ブルース」という名で呼ばれていても、田舎のブルースと都会のブルースは全然違う音楽だった。農村の黒人がギター一本で歌っていた「デルタ・ブルース」と、都会の劇場でジャズバンドをバックに看板シンガーが歌うブルースとでは、同じ構成を持っていても性質が違っていた。後者の代表がベッシー・スミスという人で、ビリー・ホリデーやサラ・ヴォーンといったジャズ黄金時代のシンガーたちはこのブルースシンガーの系列から生まれた。 一方ギター一本で歌ったり、小編成のバンドでアンサンブルを行うスタイルは、都市へ進出すると共にR&Bへと進化していった。 このR&Bのアウトローなスタイルに共感する白人が現れ、アメリカではロックンロールが生まれ、ロックンロールとヒルビリー(カントリー音楽の一種)がハイブリッドしたロカビリーが生まれた。この代表者がエルヴィス・プレスリーだ。 またイギリスでは、1960年代に古いブルース・ミュージシャンの再発見が行われ、本国アメリカで埋もれていたR&Bのカリスマたちをそのまんまコピーしたようなブリティッシュ・ロックが生まれた。ローリング・ストーンなどはR&Bへの熱烈な愛情は認めるが、コピアーとしてのクオリティーはちょっと・・・と個人的には思うが、もう少し後で出てきたレッド・ツェッペリンなどは、R&Bへの愛情と共にオリジナリティーも持った見事なハイブリッドだと思う。 今回はごく簡単にブルースのプロフィールを紹介するため、随分最近まで話が進んでしまった。次回は再びニューオーリンズの、「ジャズ誕生」の場面まで戻りたい。(つづく) <クリヤ・マコト・ライブ情報> ■クリヤ・マコト・トリオ・ツアー2009 出演:クリヤ・マコト(pf)、早川哲也(b)、大坂昌彦(ds) 9/12(土):水戸常陽藝文ホール(029-231-6611) ゲスト=ケイコ・リー(vo) 9/25(金):名古屋スターアイズ(052-763-2636) 9/26(土):神戸松方ホール(078-362-7191) ゲスト=平賀マリカ(vo)、熊谷和徳(tap) 9/27(日):豊橋シャギー(0532-55-3377) 10/2(金):目黒ブルースアレイジャパン(03-5496-4381) ※詳細はこちらを→http://members.jcom.home.ne.jp/tothemax/live/schedule.html |