1926~1967 ハードバップ 以降のモダンジャズでこの人の影響を受けていない人はいない、 といわれるほどモダンジャズのスタイルの発展に貢献した一方で、 バラードなどのメロディアスな演奏も評価が高い。晩年はフリー・ジャズに傾注し、 長年の同僚にも去られ孤立を深めた。 1949年、ガレスピーのグループに参加後、55年にマイルスのグループに抜擢されるが、 当初はそのとてつもなく速いスケール奏法を「何であんなへたくそを」と酷評される。 一時期の中断を経て58年には再びマイルスのグループに参加、キャノンボールと共に、 この時のグループは大人気を博し、マイルス・グループの第一期黄金時代に貢献、 自らも57年のBlue Trainで頭角を現し、59年にはアトランティック・レコード から リリースしたGiant StepsでSheets of Sounds(アイラ・ギトラー)なる独特の奏法を確立、 不動の地位を固める。 マイルスのバンドから独立した後、ソプラノ・サックスを用いてMy Favorite Thingsを発表。 これにより、ディキシーランド・ジャズでクラリネットの代用品として一部に使用されて以来、 誰にも顧みられなくなっていたソプラノ・サックスを世界中のサックス奏者が買いに走った。 61年には新設のインパルス・レコードに移籍、マッコイ・タイナー(P)、ジミー・ギャリソン(B)、 エルヴィン・ジョーンズ(D)とレギュラー・グループを組み、数々の意欲作をリリース。 65年、66年に相次ぎ同僚が去り、67年肝臓ガンで亡くなる。 |