1928~ アート・ブレイキーのバンドには初期の2年ほどしか在籍していないが、 そのファンキー路線もそもそも彼のプロデュースによるもの。その後、自らのバンドで独立し、ブルー・ノート・レコードで長きに亘り活躍。アートブレイキーのアフリカ志向よりも、彼の「ファンキー」は黒人色だけでなく、 ラテン・ヨーロッパ、ラテン・アメリカ音楽にも強く影響されており、幅広いファンを獲得。ファンキー・ジャズ・ブーム全体の立役者である彼がジャズ史に 与えた影響は言われているよりはるかに大きいのではないか。 「Song My Father」、「Nica's Dream」、「Sister Sadie 」など数多くのヒット ナンバーを持ち、彼が起用したメンバーもブルー・ミッチェル、 ジョー・ヘンダーソン、ウディ・ショウ、スタンリー・タレンタイン、 ベニー・モーピン、ビリー・コブハム、ランディ・ブレッカー、マイケル・ブレッカー*とそうそうたるメンバー。 アート・ブレイキーに匹敵するスター・メイカーでもある。 その作曲家、リーダーとしての卓越した才能に比し、ピアニストとしての評価は今ひとつだが、 バド・パウエル直系の左手のバッキング・スタイルを固持 している稀有な例である。 現在、他に同様のバッキング・スタイルを持つ のは、バリー・ハリスぐらいか? 50年代後半以降、ビル・エヴァンスら モダン派ピアニストの台頭により、左手のバッキングは モダン・ハーモニーへの進展に伴なって、その複雑さのゆえに次第に高音域へと移行するが、 ハーモニーとしては比較的単純で、打楽器的なバッキングのスタイルは バド・パウエルをピークに急速に失われていく宿命となる。 |