1913~1987 ウディ・ハーマン・オーケストラのリーダーとしてジャズ史に残した功績が大きいが、 元々はサックス奏者で、のちにクラリネットがメインになる。少年期にはボードビリアン歌手だったこともあって時にはヴォーカルもこなし、ショーマンシップに富み、当初はオリジナルが多かったレパートリーも、時代の変化に伴い新進アレンジャーを躊躇することなくなく起用、そのスタイルを刻々と変えた。 スウィート・スタイルのアイシャム・ジョーンズ・オーケストラに在籍していたハーマンはジョーンズの引退を機にバンドを譲り受け、36年自らのオーケストラを立ち上げ。45年頃には次第にジャズ演奏に重きを移し、スウィング・スタイルのブルース演奏を得意とする。代表曲はWoodchopper’s Ball、Blues On Paradeなどで、この時期の彼のバンドはThe First Herdと呼ばれる。ちなみに、このBlues On Parade、往年のNHK FM放送のジャズ番組「ジャズ・フラッシュ」でテーマ音楽として採用されていた。ストラヴィンスキーから楽曲提供を受け、カーネギー・ホール出演を果たしたのもこの時代。 妻の療養のため西海岸へ移住したハーマンは47年、The Second Herdとなるバンドを結成。このバンドは別名The Four Brothers Bandとも呼ばれ、 スタン・ゲッツ 、 ズート・シムズ 、 ハービー・スチュワード(のちにアル・コーンと交替)の3テナーに、 サージ・チャロフ(セルジュ・シャロフ)のバリトン・サックス の4サックスに加え、 ソロイストとして時にハーマンが加わるという、フルバンド としては変則的な構成のサックス・セクションをフィーチャーし、一世を風靡した。 Four Brothers、Early Autumnなどが有名で、アマチュア・バンドでは現在もよく演奏される名曲。こののち、The Third Herd、The Fourth Herdと続き、元々ウェストコーストで活躍していたスタン・ケントン・オーケストラと並び、多くの人材を輩出し、アメリカジャズ界へ大きく貢献した。 カウント・ベイシー・オーケストラの黄金期を支え、ダンス用ではない、鑑賞のためのフルバンド・ジャズの新たな形を提案した名アレンジャー、二―ル・へフティはこのバンド出身。 70年代以降、ファンタジー、コンコードレーベルからアルバムをリリースする頃から、一時期ポップス系に偏っていたレパートリーからチック・コリアやジョン・コルトレーンの曲などモダン・ジャズ・ナンバーを積極的に採用するアレンジへ衣替え、Thundering Herdとして再び学生バンドの憧れの的となった。 |