1922~1979 ハードバップからよりモダンなジャズへの移行期に頭角を現し、単なる ベーシストというよりはバンドリーダーとして、また様々なミュージシャンの 養成所的な存在として、ミンガス・スクールの卒業生は数多く、 ジャズ界に与えた影響は大きい。 代表的なミンガス門下生 ジャッキー・マクリーン ジョン・ハンディ エリック・ドルフィー* ペッパー・アダムス ブッカー・アーヴィン ジョー・ファレル ジミー・ネッパー マル・ウォルドロン ダニー・リッチモンド* ジャッキー・バイアード ジョニー・コールズ クリフォード・ジョーダン ジョージ・アダムス ドン・ピューレン チャールス・マクファーソン 43年のルイ・アームストロングのバンドを皮切りに、ライオネル・ハンプトン、デューク・エリントンのバンドを渡り歩き、52年に盟友マックス・ローチ*と共に新人起用のためにデビュー・レコードを設立。 しかし、最初のヒットはこの二人に加え、ガレスピー、パーカー、 バド・パウエルらスター・プレイヤーによるJazz at Massey Hallだった。 55年にも同じメンバーで演奏をするが、パウエルはすでにアル中で精神病、パーカーもその一週間後に麻薬中毒で死ぬことになる。 その後、ミンガスはコンボ とオーケストラの中間的規模のバンド (ビッグ・コンボ)を結成、Jazz Workshopと名付け精力的に活動、 56年に有名な「直立猿人」をリリース。効果音を使用するなど、映像的表現とグループ・ワークで話題を呼ぶ。 「前衛的」ということで当時のオーネット・コールマンとの比較もされたが、 コールマンらのフリー・ジャズとは一線を画す。 人種差別に対して猛烈な抗議をし、性格も怒りっぽく、共演者や観客を 怒鳴りつける、暴行するなどの奇行ぶりがクローズアップされるが、 その音楽性は意外にも正統的なものに基づく。 門下生でミュージカル・ディレクター的存在だったジミー・ネッパーも アレンジについていわれのない言いがかりを付けられ、殴られ、歯を折られるのだが、数年後にはバンドに復帰し、ミンガスの死後も未亡人の求めに 応じ、Mingus Dynastyなるアルバム制作に参加、協力している。 Goodbye Porkpie Hat、My Jelly Roll Soulなどカバーされる曲も多数。 |
(直立猿人) (Mingus Ah Um) |