1915~1959 1933年大恐慌時代の不況の中、チップで生活していたビリーを名プロデューサーのジョン・ハモンドが見出し、ベニー・グッドマンやテディ・ウィルソンと引き合わせ、表舞台へ。 やがて人種差別の激しかったこの時代にアーティ・ショウ・オーケストラに 雇われ、白人バンドに採用された最初の黒人女性シンガーとなるが、南部へのツアーではやはり人種差別に苦しみ、ニューヨークに戻る。 39年には人種差別をしない有名ナイトクラブ、カフェ・ソサエティの専属歌手となり、そこでビリーが見出した人種差別を告発する曲、奇妙な果実*を 初披露。 ダイナ・ワシントンやベッシー・スミスのようにポップで大衆受けするタイプ ではなく、当時の人気は国民的スターとまではならなかったが、 レスター・ヤングを初めとしてベン・ウェブスター、エリントン、ベイシー他 多数の本格的スタープレイヤーと共演。なかでもレスターとの親交は有名。一方、不幸な出生、アル中、麻薬、乱れた異性関係、同性愛と、伝説ともなるその境遇も相まって、後年、ルイ・アームストロングと並び称されるスターと なる。 主な曲は、 Embraceable You Lady in Satin Lover Man Strange Fruit God Bless the World など多数。 59年、親友レスターの訃報に接し、「次は私の番だ。」といった言葉通り、 その4ヵ月後に肝硬変、腎不全により44歳の生涯を閉じる。 最晩年の伴奏者であったマル・ウォルドロンが、ビリーの死を悼んで ジャッキー・マクリーンとレフト・アローンを発表、伝説的なアルバムとなる。 ビリーの自伝「奇妙な果実」はファンでもある記者のウィリアム・ダフティが インタビューをまとめたもの。 また72年にはダイアナ・ロスがビリーを演じる「ビリー・ホリデイ物語/奇妙な果実」も映画化された。 |